「シンドラーのリスト」のテーマ曲

    

 

 

    

 

 

   

 

 


先週、ひょっこりこちらの曲に出会いました。 「シンドラーのリスト」はスピルバーグ作品であり、第二次大戦中のユダヤ人大虐殺がストーリーの主軸になっていることぐらいは知ってましたが、観てはいませんし、当然サウンドトラックも全く知らなかったんです。

映画の内容が内容ですから、聴き様によってはひたすら悲しげなメロディとなると思います。 でもとりあえずこの音楽のみに集中した時は、、、哀愁や切なさの美しさかなと。

一つめの動画は映画のシーンをつないであります。 二つめは気に入った演奏なのでup。 youtubuで「シンドラーのリスト」を検索すると、色々な方の演奏が聴けます。 同じ曲でも弾き手によって曲想が違い、それぞれの演奏者さんの個性が出ていて、聴き比べが面白いです~

三つめはアイスダンスのロシアのペアによるフリーダンスの演目です。 男女シングルは強い日本、TV放送も以前よりずっと多くなりました。 でもペアやアイスダンスは発展途上中。 私も殆ど知らず、ましてや外国の選手のことなど、とてもとても・・ 調べると、エレーナ・イリニフ&ニキータ・カツァラポフの2009~10年シーズンのもの(でいいのかな)、この時彼女はなんとまだ15歳! 彼の方は18歳という“ジュニア”のペアでした。

二人で踊るということは、こういったストーリー性や演劇性が強い演目も可能にしてるんですね。 シングルとはまた別世界だよなぁ。。。 これはそのストーリーに随分助けられているからかもしれませんが、インパクト強し! でもストーリーの重みに負けないだけの表現を、彼らはしているのではないでしょうか。 

 

Timely

!!(゚ロ゚屮)屮 びっくりした! 今月29日まで国立西洋美術館で、「ウィリアム・ブレイク版画展」をやっているんですね。 

小企画展については、全~然気付いてませんでしたよ; 大々的にメインな企画展の「ゴヤ展」をやっているから、ゴヤ好きとしてはそっちの展覧会だけしか・・ 11月にここに出向いた時は完全に見落としてたわけか・・ あ~あ。最近は絵に対しても“ぼんやり”になってるからなぁ(*v.v)...

けれどもどっちみち、再度1/29までのゴヤ展に行く予定の私。 なぜなら手元に今、券があるから(^-^; 11月の最初の鑑賞の後、これはもう一回はと券をチェックしていたら2枚組が安く出ていて、だったらと価格につられて買っちゃったのでした。 12月と1月に1回ずつと考えてたのに、東北旅行から戻った後はほけっとしているうち、あっという間に過ぎてしまい....  

ということで、この采配をありがた~く頂戴して、先日行ってきました。 以下は展覧会の紹介文です。 とても気に入った挿絵とも巡り合いました♪ 常設展だと写真撮影も可と小耳にはさんだので、今週行ったら忘れずにデジカメ持参して、ぜひ撮ってきたいです。 (その気に入った絵はまるでネット上には出ていないようで、絵葉書やチラシ等も全くないし、それがとても残念に感じてました。) 


近代英国の代表的画家、詩人として知られるウィリアム・ブレイク(1757-1827年)は、銅版画家としても多数の作品を残しています。独特のインスピレーションに基づき、幻想的かつ象徴的な世界を構築する彼の版画は、英国ロマン主義を先駆けるものでした。今日に至っても、それらの作品は見る者を魅了してやみません。

当時、英国の版画家たちの主な仕事は、画家から提供された原画を忠実に複製することでした。この趨勢に抗い、自らの創意に従って制作を進めたブレイクは、異色の存在であったと言えるでしょう。詩とイメージの融合、線描による表現の重視など、独自の芸術理念を追求したブレイクでしたが、こうした志向は、同時代の人々の好みとかけ離れていることがしばしばであり、生前ほとんど評価されませんでした。しかし、ブレイクは、世間の無理解に苦しみつつも、生涯、自身の理想を貫き通したのです。

今回の展示では、旧約聖書『ヨブ記』やダンテの『神曲』のための挿絵をはじめ、当館が所蔵するブレイクの版画をご覧いただきます。また、デューラーやマルカントニオ・ライモンディら、彼が傾倒したルネサンスの版画家たちの作品も併せてご紹介します。この機会に、銅版画家ブレイクの世界をどうぞご堪能ください。  


前回の記事にブレイクの絵を載せたのは、大江さんのエッセイにブレイクの名があったからに他なりません。 で、どの絵にしようかと選んでいて、記事の内容の「死者からの伝達」にピッタリな、死せる人の絵があったので、こちらにしました。 何よりも天使と天使たちの形体(=三角形の構図)が美しいと思ったので。

そしてたった今、思い出したことはトリノの聖骸布のニュースです。 処刑で落命したイエス・キリストを包んだ聖骸布だといわれる有名な聖遺物がトリノにあります。 この布がなぜ有名かといえば、布に人の姿らしき模様が現れているからなのですが、その真偽はずっとニセモノとされていました。 布を科学調査・測定して、この布の織布期は中世の13~14世紀とという結果だったからです。

ところがこの年末、研究・調査を5年に渡って行い、「1世紀の布」という測定結果が出たというニュースが発信されました。 ただこのニュースの文面がかなりアバウトというか、説明は省かれて、この結果だけポンと提示している文章なので、私の印象は「1世紀の布が真であるとしても、どうやって「イコールそれがイエスを包んだ聖骸布だという結論」になったのだろう?」とよくわかりませんでした。

なんでも、「姿が浮かび上がってる部分に色素顔料はなく、それは人の業ではない。 そしてこの布の中に遺骸が40時間以上あったことが証明された。(←聖書にそういう記述があって、その聖書との一致を強調してるのだと思います) ゆえにこの布は本物の聖骸布である。」、だそうです;

そんな「2千年前のもの」に「『遺骸』が包まれていた」、時間は「40時間以上」と、そんな細かいことまで今の科学が鑑定できるもんなんですかね????? そしてその遺骸がイエスであろうという証拠?が、色素顔料ではない、未知のもの、まだよく「わからないもの」だからって、都合のいいところでは「まだ解明できないもの=人の業とは思えない」を味方にして、、、うーーーーん。 まぁ、歴史ミステリーとしてキリスト教社会では関心をひきそうですけど、さて、どうなんでしょうね~

 

Communication

Blake_christ_in_the_sepulcher_guard                《天使たちに守られる墓の中のキリスト》   ウィリアム・ブレイク  1805年頃

 


通常の年初のご挨拶は欠礼させていただくこととなった、2012年です。(って、既に松の内を過ぎてるじゃん;) 
一般家庭の行事的なものとは今、無縁ですから、普段と変わらないはずが、とにもかくにも「連休」ということでちょっと変則的な日々となってました。 

ですが一日一日が積み重なり、刻んで、続いていくのが時の流れですね。 カレンダーが2012年になったからといって、そこで突発的に何かがどうというのではなく。

8月に渡仏したことで、結果的に私の魂の経歴へのヒントがもたらされました。 それが機縁となり、次に仏文学者の渡辺一夫氏の著作と出会いました。 そして、渡辺氏とつながる大江健三郎氏のエッセイを3日前から読んでいます。 ノーベル賞を受賞した大江さんの名前は知っていても、まだこれまで一冊も読んだことのなかったのが、ここにきてようやく機が熟したのかもしれません。

大江さんのエッセイからは、こちらの言葉(詩)と出会うことができました。

 

   And what the dead had no speech for, when living.  
   They can tell you, being dead: the communication  
   Of the dead is tongued with fire beyond the language of living.  

 

正確ではないし、何より拙くて、ヤになりますな(ノ_-。) 詩なのだから、もっとリズムを整えられるといいのに・・ でも一応、私の言葉として添えておきます。    


   そして逝った者たちは、生きている時には言うことのなかった言葉を.  
   命無き今、語ることができる  死者の言葉の、その伝達は
   生者の言語を超越した 炎の舌でもって 為される  

 

そのお人は死んでしまった、もう既にこの世にはいない、そういう状態だからこそ、受け取るメッセージというものが確かにありますね。 そしてそれは「コミュニケーション」であって、一方通行ではない。 魂の交わり、その両方向の疎通だとエリオットは言っています。

安寧の場にいる魂は眠りについていて、そんな動的なことはしないのかもしれません。 また留まっている魂にしても、その留まる理由に集中していて、他者とのコミュニケーションは難しいかもしれません。 それでも自分の経験として、伝達を受け取ったという確信をこれまで何度もしたことがあります。

可能ならば生死の境界線は関係なしに、コミュニケーションがとれるのが最良だとは思います。 でも人という存在は命ある状態と無い状態と、必ずどちらかであって、その両方を保持することはできません。 命が尽きること、それは大きな大きな変化です。 変化する前とした後と、死の瞬間を経てなお同じままということはあり得ません。 どうしたって「どちらか」となってしまう定めなんですよね。

それでもコミュニケーションという交わり、そのえにし≪縁≫は続いていく、断ち切られるわけではないというのは一つの希望だなと、改めて感じます。 自分はそのことを知っていたけれど、この詩の言葉により、よりはっきりと明瞭になりました.... 


大江さんは、画家であり詩人のブレイクについてもページを割いています。 私はブレイクの絵はこれまでに観たことがあって、「好き」の部類に完全に入りますから、絵を媒体にしてならブレイクの世界に浸ったことがあるもんねと、とりあえず言ってしまいましょうw でも文学者の大江さんにとっては、まずブレイクの詩との結び付きありきで(そりゃ、当然も当然なんですけど)、自分との“切り口の方向性”の違いに愉快な気持ちになりました(*^^*)

それから。 このエッセイは大江さんの読書体験についてのものなんですが、出されている名前や作品名の多くが“自分との関わり”もあるもので、驚きました。 

大江さんは高校生の時に渡辺さんの本と出会い、渡辺さんを師としたいと希望して、その大学へ進学したというお人です。 私も渡辺さんの著述の所々に惹かれもするし、共感もするということは渡辺さんと似たような感性(傾向)があるということでしょうね。 同じ人物(渡辺さん)を慕う気持ちを持つもの同士、大江さんと私の感性ポイントが似ていても不思議ではない。 ただそれにしても、この重なる点の多さは・・ こういう風に驚くことなんて、ここ10年はなかったような。(←いや、単にそれだけ新たな本や作家さんを開拓していなかっただけ、だってば;)

とはいっても、エッセイ本を1冊読んだぐらいで大江さんを知ったとは到底言えません。 それにこの小さな情報量のなかで既に、大江さんと自分の相違点もたくさんありそうだとも思ってます。 ま、大江文学との付き合いはこれからぼちぼち・・ということで☆

このエッセイにある“自分との関わりもあるもの”の一つがブレイクであり、↑の詩の作者T.S.エリオットであります。 それからダンテの「神曲」も取り上げていました。 ダンテも、私のなかにインプットされている一かけらです。

大江さんはこのエッセイ中ではダンテとT.S.エリオットのつながりについては一切言及されていません。 ですが図書館から借りてきた本によると、詩にある「tongued with fire 」は「神曲」に散見される言葉と符号しているそうです。

最初にこの言葉(詩)を読んだ時、なぜ「炎」の舌なんだろ?とそこは腑に落ちなかったんです。 ですが「神曲」にこの表現があり、それを踏まえてのT.S.エリオットの言葉なのだと知って、内容的には「?」のままでも納得できました。

上記の詩は「FOUR QUARTETS (四つの四重奏曲)」というとても長い詩のなかのほんの一部です。 「四」は4つのエレメンツ≪火・風・地・水≫に対応していて、この作品は4つの篇で構成されており、上に挙げた部分は「火」の篇(「LITTLE GIDDING」)に含まれています。 fireですから、ドンピシャ「火」ですねー

ダンテやT.S.エリオットの詩の世界とは全く別に、私のイマジネーションによる理屈としては、炎とは一種のエネルギーを比喩している意味合いもあるとか?と考えました。 現実の肉体を維持するためには適当な暖かさ・体温が必要で、そのために食事をしてカロリーを摂り、熱・エネルギーに変えてますね。 火というものもエネルギー源の一つです。 火自体も暖かく(熱く)、他のものを熱します。 炎の舌というならば、抽象的な意味での「温かみ」だったり、「交わろうとする熱意みたいなもの」を連想させてくるような? ただし火や炎という語はちょっと強いというか、諸刃でもありますよね。 火→燃やす→消失や破壊→例えば武器といった具合にネガな連想も有り、ですから。 なのでこの語が選ばれた意図をまだ汲み取れないでいます。 詩全体を通読したら、わかるかも?と淡く期待しつつ・・ (エッセイにはこの一部分だけが出ているのです。)

最後になってしまいましたが、エッセイにある西脇順三郎氏という詩人が訳されたものと図書館の本の森山康夫氏の訳をお伝えします。

    また死んだ人たちが生きている時に
    言葉で言わなかったものを
    死んだ時に人に言うことができる。
    死んだ人たちの伝達は 生きている
    人たちの言語を越えて火をもって
    表明されるのだ。

    そして死者は、生前口にしなかった事を
    土に帰った今語ることができる。死者は  
    生きた人間の言語を超えた炎の舌で語り掛ける。


14世紀のダンテ、19世紀のブレイク、20世紀のT.S.エリオット。 さすがにダンテは私にとっても「神曲」の人という位置づけですが軽くしか読んだことがないし、ブレイクの詩は未知の世界。 T.S.エリオットもミュージカル「Cats」の原作者として認識してるだけという細~い線でした。

ただし絵画美術でも「神曲」にインスパイアされて作られたものは幾つもあり、その別ルートのつながりも少しはありました。 そういやブレイクも「神曲」の挿絵を描いていましたね。 そして「Cats」はこれまた大好きなミュージカルで日本とロンドン、NYと計何回観たっけな??

気合を入れて、これらのつながりの内容を明確にしていこう、意味探しをしていこうという気持ちはさらさらありませんw ここまでこうやって記事にまとめることができて、満足しちゃいました。 あとは今後ご縁があれば更に掘り下げていくことになるだろうし、先の楽しみの種を手に入れたということで新年の幸先としては上々です♪

 

2011年 今年の漢字

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今年も、今日と明日とあと二日となりました。 「今年の漢字」は「絆」だそうですね。

私は「生」を選びたいと思います。

今年自分は“よりしっかりと生きた”からでは全くありません; ですが今年ほど、「命とは」や「生きるとは」について意識し、想いを巡らせたことはこれまでなかったなと。

それはまず、2月のおばあちゃんの死が最大のきっかけとなりました。 そして3月の大震災、それに続く福島原発や被災地復興の諸問題。 生と死は表裏一体ですから、生について思い、死について思いと、両者が常に頭にあったような気がします。

写真は12月3日の陸前高田の一本松です。....

この日は麗らかな冬晴れで、あっと、太平洋側だから晴れても不思議じゃないんですが^^;、空気は冷たくとも日差しは暖かく、海は本当に穏やかでした。 その海の穏やかさと美しさと、目の前に広がる「平地になってしまった、被災した土地」とのギャップが強烈で、それをどう表現したらいいか・・、言葉にするのは難しいです。

8月のフランス旅行でもそうであったように、vividに自分の中に何かがこみ上げてくるといったようなことは特にありませんでした。 とりあえずそれは淡々としていたと言っても間違いではないのかな.... 自分と“淡々と”が結び付くなんて未だに違和感がありますが、おばあちゃんの旅立ち以降、その前はそれなりによくあった“ど~んとクルもの&湧き上がるもの”がごくたまにしかなくなり、この東北旅行の時もただただその場に佇むだけの私でした。

とはいっても、フランスや東北に行ってこれたこと、それらのチャンスを与えられことは心から幸せに感じています。 経験や想いの積み重ねがこの先どこでどんな風に表出してくるか、ゆっくり楽しみに待ちたいですね。 そういうゆるさも徐々に身に付いてくれたらいいんだけどな~ >自分

「生」の漢字を思い浮かべた時、ほぼ同時にこの松のことも思いました。 岩手での写真は陸前高田以外でも数枚撮ってきていまして、それは改めて別の記事にてと予定しています。 

 

旅行2日目 その7 : アンヴァリッド

  

 


ロダン美術館の次に「アンヴァリッド(廃兵院)」へ行きました。 この日の観光はここが最後です。 

ここで有名なのは、何といってもナポレオンの墓でしょうか。 度々書いていますように、自分はナポレオンへの関心はとても薄く、いや、それだと嘘が混じってしまいますね; 端的に言えば“嫌い”という否定の思いが強かったので眼中に入れないことにしていた、が一番近い表現ですね。

ただし一点集中でナポレオンが嫌いというより、フランス大革命そのものを敬遠していましたし、美術史は別にして18世紀後半以降の近代史は殆ど頭から抜け出てしまっています。 私の歴史への向き合い方は、子供の時からの“身近”な「何百回となく聞いてきた物語」のようなものでして、覚えようという意識なく頭が勝手に覚えてしまっているお話の数々なのです。 

とはいえ、吸収しやすい時代や地域、事象もあれば反対にすぐに忘れていくものもたくさんあり、それはやはり好き嫌いの匙加減(=興味の度合い)次第ですかねー

フランス革命やナポレオンがなぜ嫌いかといえば、恐怖政治、流血、軍事、戦争、徴兵制等のイメージがついてまわり、反射的に拒否反応が出ていたから。 人権宣言などは人の歴史のエポックメーキングであり、大きな前進であったと認めていても、結局はそれは「後から」の修正というか、最初の印象の“痛々しい・つらい・悲しい”etcがまずあって、「いや、血はたくさん流れても、こういう良いこともあったのだから」と偏り過ぎないように自分に言い聞かせていた、そんな感じでした。

さて。 今、私はここで革命やナポレオンについて「でした」と過去形で書いているのは、お気づきになりましたか!? そうなんです、↑の想いは今現在では変化しています。 この8月の旅行中の時は“before”の“嫌い”でしたし、アンヴァリッドで写真を撮りたいと思うような惹かれるものもなくて、ここも写真はありません。 

その代わり?に、「いつか見る虹」という歌の動画を添えてみました。 イルカさんの作詞・作曲、原曲はスメタナの「モルダウ」で、2008年に「みんなのうた」で放送されていたそうです。 自分は一昨日知ったばかりなんですけど、この新たな出会いはかなり嬉しい☆ とても心に響いています。

この歌はイルカさんが旦那さんが病気で逝かれた後に作られたものと、こちらに出ています。 歌詞からまずウルウルきて、「モルダウ」のメロディがこれまた今の自分にはグッときて・・

「モルダウ」はチェコのスメタナ(1824-84)が愛する国を想って作った交響詩「わが祖国」のなかの一曲ですね。 彼の生きていた時代のチェコはまだオーストリア・ハプスブルグ帝国の支配下に置かれていました。 一言「ヨーロッパ」といっても、国単位で上下があり、その構成の最小単位である一人一人の人間にも、生まれによる身分の上下があり。 性別でも歴然と差がありましたから、二重三重に差別と格差が課されている社会だったわけです。

その解消を、国や民族の独立を求めたうねりが民族解放運動であり、王政をひっくり返したフランス革命は力強い後押しとなりました。 フランス以外の国の支配者層は自分達の安泰を脅かすものとして革命に脅威を感じ、だからこそ19世紀は何度も戦争や紛争が起きました。(詳しくみれば、もっと色々な背景があったわけですが。)

気持ちが変わったといっても、ナポレオンのことは今だってキライですw でも彼みたいに、いい意味でも悪い意味でも「大きな足跡」を残した人というのは、とにかくたくさんの重いものを背負って、降ろすことは出来ずに背負い続けなければならず、本人のなかではその苦労みたいなものの自覚は皆無だったとしても、魂的にはなかなかシンドイだろうなと、「ご苦労様でした」とまずはそう思うようになったのです。

こんな風な方向転換をしたのに気付いたのは、東北旅行から戻ってちょっとしてからでしょうか。 直接ではなくても連なりの一部として、フランスへ行ったことや東北での出来事が、ずっと在ったネガな引っ掛かりを小さくしてくれたみたいです。 

そして一昨日のこの歌。 チェコなど組み敷かれた側にとっては、革命の成功は正に希望の星であり、戦争や流血という惨状が引き起こされたにしても、その功罪の両面を受け留めたいなと。 「モルダウ」の美しい調べで、よりそう考えるようになりました。

 

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